2015/11/17

53) ブログの今後について

 本ブログ「大津通信」を始めた時点では、ひと通りの情報提供と問題提起を行い各方面のご意見も伺って一段落するのが年末あたりと見当をつけていたので、「棚田日詩」の友人には12月で終わると話していました。しかし、ことここに至ると市長選挙が大きな節目であるのは明らかです。
 また、約400件のコメントで「情報広場」が立ち上がってきたことも感謝しつつ考慮すべき事情となりました。そこであれこれ考え、本ブログは1月17日の市長選挙までは閉鎖しないことにいたしました。

 くり返して恐縮ですが、私は、越市長のことを「新自由主義的な考えを持つポピュリストであり、自らの発信力を生かした劇場型戦略で政治目的を達成しようとしているところの資質等に問題を抱えた首長」であると見なしています。 ⇒ 本ブログ記事 「つまるところ越氏はどのような市長か」
 しかも、発信力が高いのにまちづくりのビジョンを語ろうとされず、コミュニケーションの不足等から様々な場面で活躍する市民の力をそいだり失望をかうといった事態が再三起こっています。
 職員との相互不信は目を覆うばかりの状況です。議会でも不信の声が上がっています。
 「失政さがし」をするまでもありません。こうした状況は大津市にとって極めて大きなマイナスだと思います。

 ただしこれは私の意見です。意見を同じくする方々を私は多数知っており、寄せられたコメントの圧倒的多数が同様の見解であると思いますが、これらに対して異なる見方があるのは当然のことです。
 そうしたさまざまな意見が行きかってまちづくりの議論が深まることがブログの目的であることから、その最大の機会ともいえる市長選挙まではブログを継続することが妥当であるという判断に至ったわけです。
 このブログの主要テーマは何といっても「第1期越市政」ですから、もし、越市長以外の方が当選されたらブログを閉鎖します。越市長が再選されたらどうするか。これは私にとって難問ですが、その時にしっかり考えたいと思います。
 次回は市政シリーズに戻ります。



22 件のコメント :

  1. 大津市と越市長で考えるのが基本ですが、目先を変えて考えることもできます。
     
    越市長は、佐賀県武雄市前市長の樋渡啓祐氏を高く評価しています。

    樋渡氏は、2015年1月の佐賀知事選に出馬するために、武雄市長の座を下りました。
    自公の推薦を受け佐賀知事選に臨んだ樋渡氏は、JAが推す候補に4万票の差をつけられ大敗しました。高村副総裁をはじめとする自民党幹部たちはーーTPPに反発するJAの団結に負けたとはできない党利党略があるにせよーー樋渡氏で戦おうとした作戦が人選間違いだったと、異口同音に述べていました。

    越市長は、樋渡氏のこの落選をいたく残念がり、樋渡氏のような改革派首長が活躍できる日本社会でなければ世界から取り残されるといった趣旨の発言をしています(発言の詳細は「51)越市長の改革とは」でも見られますし、さらに詳しく知りたい場合は、関係資料7の「大津の図書館でおこったこと」がひとこと漏らさず取り上げています)

    それならば、越市長が信奉する樋渡氏の武雄市政とはいったいどのようなものだったのでしょうか。それを知れば越市長の本質が少しは見えてくることでしょう。これまでに報道されてきた話題を拾ってみます。
     
    樋渡前市長の改革の目玉といえばTSUTAYA図書館でした。このTSUTAYA図書館、いっときはその斬新性が世間からもてはやされ、この改革を推し進めた樋渡啓祐氏の評判も赤丸大上昇でした。
    しかし、やがて、民営化がもたらした営利追求型図書館運営の実態が広く知られるところとなります。その中味を箇条書きに並べますと、
    ・貴重な郷土史資料の廃棄処分(希少価値を見抜ける司書がいなかった)
    ・史跡建造物の取り壊し(レンタル・販売スペースを確保するため)
    ・BOOKOFFからの中古本購入(市から委託された1300万円の図書購入代を浮かすため)
    などです。

    蔵書20万冊と打ち出されたセールスポイントは、閉架にあった蔵書を開架に移しただけのことでした。図書館が観光客で賑わう反面、その代償として市外への貸出が半数にのぼるという実情も生まれました。皆でもてはやしたTSUTAYA図書館にも様々な負の側面が潜んでいたのだと認識されるに連れ、いまやあの図書館は民営化なんてとんでもないの好事例と化してしまいました。

    また、住民の情報開示請求を通じて、市とTSUTAYA(CCC株式会社)の間にかわされたずさんな契約内容も明らかになりました。なぜTSUTAYAに任せたのか仔細がはっきりしないまま、不明瞭な随意契約(競争入札なしの契約)に基いて支払われた公金が1億8千万円。その返還を求める住民訴訟が現在進行形です。前市長の樋渡氏が被告の立場にあります。
    実は、TSUTAYA図書館の営利体質的運営実態は、住民訴訟につながる情報開示請求を介して表面化しました。表面化するまでに開館から2年を要したのは、武雄市が1年以上も情報開示に応じなかったからです。市は手続きに時間を要したからだと説明していますが、1年以上をその説明でカバーすることには無理が伴うため 、市の隠蔽体質が疑われています。
     
    そのいっぽう、市長辞任後の樋渡氏は、武雄市の市民病院の移譲先であった「巨樹の会」の理事に就任、さらには、CCC子会社「ふるさとスマホ」の代表取締役社長にも就任しました。ふたつともが民営化の受け皿先です。現役市長時代に辞任後の就任を約束する不正行為があったかどうかは定かでないものの、民営化受け皿企業への天下り的転身を道義面から非難する声が上がっています。
     
    と、まあ、越市長が師と仰ぐ樋渡啓祐氏、そして樋渡氏の市政においては、報道の範囲だけでもこれだけの問題が噴出しています。市長の立場にある者が無警戒・無批判にに褒めちぎっていいことだとは思えません。他自治体首長の多くは樋渡氏に対する慎重な評価姿勢を崩しませんが、越市長は大いに是としてはばかりません。

    樋渡啓祐氏が大津市長選に立候補してきたらどうでしょうね。この人にまちづくりを任せる気になれるか?こういう見方もなかなか興味深いもんです。

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  2. 横綱白鵬の猫だまし。横綱にあるまじき相撲だと北の湖理事長は怒っています。
    それを受けて、ラジオ中継のアナウンサーと解説の舞の海が話していました。横綱が立ち合いで変化をつけてはいけないと言えないにしろ、北の湖理事長のように言い続けていかなければ大相撲のおもしろさが失われていまう。時代とともに大相撲が変わってきたことはたしかだが、変えてはならないものもある。そんな話になっていました。
    市政の改革にも通じそうな気がしました。横綱の猫だましを論じるのも難しいけれど、市政の改革を論じるのも難しいもんです。

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  3. 樋渡元市長や橋下市長をどのように評価するかは人によって全然違いますがわたしの知っている範囲では民主主義や地方自治の否定につながるとして批判する見方が多いです。私も樋渡氏や橋下氏は市長にふさわしくない人だと思います。それらの人を越市長が評価しておられるということは、大津市で同じに政治をやりたいという事としか考えられません。実際に越市長の四年の動きを見てきたらそうとしか思えません。私はそれでは困ります。大津の町が大事ですので!

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  4. 図書館の民営化検討について越市長自身の考えをもういっぺん聞きたいですね。樋渡改革にならってどの様にしようとしていたか、答申任せにせず、市長としての考えを聞きたいですね。都合悪いことに知らん顔では許されないとおもいます。トップの責任を果たして下さい。

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  5. クラーク県都はスーパーマン2015年11月19日 5:02

    「ただしこれは私の意見です」と条件付きで、越市政が大津の大きなマイナスだと諸紙は述べておられます。対立候補が越市長ではいけないと訴えるのは当たり前ですが、いけない理由のひとつに越市長-職員のコミュニケーション悪化やまちづくりビジョンの弱さを挙げておられますから、茂呂氏にとどまる「私の意見」ではなくて大津市級の広がりだと分かります。茂呂氏の副市長辞任がいまのこの流れを生み出したと言いたいところ、そこまで断定できる根拠がなくてたいへん残念です(私のなかでは根拠なしに断定できております)。それでも、対立候補のお二人には茂呂氏の視点がだいぶ参考になっていそうだと思えてなりません。教育長だった富田氏の辞任、副市長だった茂呂氏の辞任、そして対立候補の問題意識と、これらは越市長に起因する必然であるという風に言ってもさほど的外れではないでしょう。選挙のことを言うなと、ブログ主のご意向ですので、コメントに腐心いたします。  

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  6. 一市民です。今や多くの市民が大津通信を見ていると思います。ブログの今後についての茂呂氏も考えはよくわかりました。越市長の見張り番になるのでなければ一定の時期に終了するのが自然です。それまでに狙い通りにまちづくりの議論がどこまで深まるかが問題だと見ています。

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  7. 大津市民病院は独法化(地方独立法人へ移行)の方針ですね。今年8月4日の朝日アピタルには「市議会の議決を得て最終決定する」と書いてあります。もう最終決定が済んだのでしょうか。私は独法化が最善だと思います。
    「大津市民病院のあり方に関する提言書」というPDFを見ますと、民間移譲をはじめいろいろな検討を経て独法化に決まったことが分かります。病院の財政立て直しというのは、診療報酬で国が医療行為の値段を決めてますから、難しいですね。医療の質を高めても収入が変わらない。大津市民病院も地域からの信頼で病院の競争力と存在価値を強化する他に存続の道は多くないです。独法化はその目標によく合致した方策だと思います。

    これまた樋渡啓祐氏と武雄市の話になりますが、あちらの市民病院は民間移譲でしたね。赤字額をみますと、当時の武雄市民病院といまの大津市民病院はトントンです。
    ただ、スンナリとはいかなかった。民間移譲を巡って市長のリコール問題にまで発展しました。住民グループからのリコール請求があり、これに対して「民意を問う」と市長が辞職、リコールではなく出直し選挙となりました。
    市長と「池友会」という医療法人が非公式に接触していたことやら、その非公式の接触に医師会が憤慨したことやら、佐賀大学からの派遣ドクターたちも怒って次から次へと退職していったことやら、トップダウン手法の行き過ぎを警戒する声やらで、「医療選択選挙」とはいえ樋渡流市政の是非も争点となりました。
    対立候補は、樋渡氏の直前まで市長をやっていた古庄さんです。樋渡氏に負けて市長の座を明け渡した。ですから、こっちもいうなれば出直しです。立候補表明が告示の1週間前。それでも後半は猛追したのですが、約2800票の差で敗退しました。まあ、なんせ70歳でしたしね(樋渡氏は39歳)。このときの投票率が70.84%。有効票数がだいたい4万票のなかで2800票の差ですから、武雄市民もそう樋渡市政を支持していたわけではなさそうです。
    選挙に勝って市民の賛同を得た樋渡氏は、「池友会」ではなくて新たに「巨樹会」との間で民間移譲契約を結んだと、こういうわけです。

    そのわりには越市長が選んだのは独法化。樋渡氏に右に倣えで民間移譲ではありませんでした。医療ニーズが地域によって異なりますから単純に比べたりできませんが、いやあなかなか市民目線の大人の選択ではないですかと言おうとしたんですよ。で、その前に、越市長に独法化を答申した「大津市民病院のあり方に関する提言書」の顔ぶれを確かめた。そしたら、いちばん上に茂呂治という名前がありましたわ。

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    1. 市民病院敷地内に建つ大津ケアセンターの民間移譲断念の報道がありました。谷議員の指摘(8月議会)でそのままの民間移譲は建築法違反に当たることが判明したとか。これは市民病院あり方検討の失策ですか?

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    2. 市民病院のあり方検討とケアセンター大津のあり方検討は別物です。市民病院のほうは上の方も書いているように平成26年9月に内部委員会で検討結果を提言書の形にし、外部委員会で平成27年2月~6月まで検討されました。大津市のHPではわかりにくいですが、企画調整課の附属機関のところにあります。ケアセンター大津のほうはHPではケアセンター大津業務課のところに報告書があります。ケアセンターの民間移譲について茂呂氏はその成り立ちや高齢者施策の観点から反対されていました。
      ケアセンター大津が開設後、介護保険法の成立や、国の政策転換から民間の介護老人保健施設が増えたことから、自治体立の施設の割合は全体の5パーセント以下という状況なので、公共で事業を行うかどうかは多分に政策的であることは間違いありません。
      ケアセンター大津のあり方については、茂呂氏が退任されたあと、山本企業局管理者を委員長に内部検討がされましたが、最初から民間譲渡ありきで、ケアセンターも蚊帳の外だったと聞いています。

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    3. ケアセンターおおつのあり方に関する検討報告書の委員名簿を見ると、委員長の山本企業局管理者の肩書が参与とあります。これは、平成26年8月に越市長が参与【通称CEO(最高経営責任者)補佐官】として選任されたものです。企業局のトップ(特別職)を市の職員とできるのかについては平成26年9月市議会でも質問がされていますが、非常勤嘱託職員の位置づけなので問題ないとの答弁がされています。
      さて、この「参与」という職ですが、大津市職員の職の設置に関する規則には「参与」という職は規定されていません。つまり、職務が規定されていない=職務権限がない、ということです。議会の答弁でも権限、責任を持たない指導、助言する立場であると回答されています。
      ようは、このケアセンターおおつのあり方検討は、「権限も責任もとらない人を委員長に据えて取りまとめたもの」ということです。
      谷議員の指摘はそもそも論的で、「この道を進むのに入口が通れるかどうか確認しましたか?」というのと同等です。結果は、「道が決められていたので、誰もそこが通れるかどうか確認しなかった。」ということですね。

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    4. ケアセンター大津の民間移譲断念の新聞記事(京都新聞)によると、以下のようなことですね。
      ○いまのケアセンターは市民病院と一体化した施設として扱われている
      ○民間移譲した場合は、病院の一部ではなくて、病院と切り離された独立施設になる
      ○そうなると、ケアセンターを囲む病院の建物が高すぎて、その高さがケアセンターに対して建築基準法違反となる
      ○ならば、病院を低くすればいいのだが、工事費に数億円がかかるため、病院改修は選択できない
      ○そのため、民間移譲を進めるのなら、病院外の新しい敷地に新しい建物にするしかない
      ○その新築コストを払ってでもケアセンターを欲しがる相手が見つからない
      ○したがって、残る選択肢は民間移譲の断念のみ

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    5. ケアセンターの京都新聞記事要約の投稿者です。
      上のコメントの内容と新聞記事の内容を見れば、ケアセンターおおつのあり方検討は、民間移譲で結論出しておけばいいんだろの話し合いだったと思われます。議員さんが気づく法律上のポイントに第一人者のメンバーが誰も気づかなかったというのはしっかり検討していないことの裏付けに思えてなりません。無気力の広がりがこのようにして現れたのではないでしょうか。

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  8. 大阪へ行ったらダブル選挙も大詰めで、維新の会の車が「11月22日はいい夫婦の日です。ご夫婦揃って投票にお出かけください」とやっていました。私は守山市民でこのブログはまさに対岸の火事ですが、皆さん方の力で県都の市政をぜひよい方向に向けてください。私が若かった時代にくらべて大津の存在感は確実に下降しています。このままですと人ばかり多くて中味スカスカになってしまいそうです。県全体の元気を引っ張って下さい。

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  9. どの題材にも当てはまらないコメントですのでここに書かせていただきます。
    名神高速道路大津サービスエリア(上り)ですが、大津土産がほとんど置いてありません。大阪・京都・神戸の名産ばかりです。叶匠壽庵が出店していてあそこのソフトクリームはサービスエリア利用客に大人気です。ただ他の大津名物はどうなってるのでしょう。大津市の行政が独自の商業文化育成を置き去りにしてきたからではないでしょうか。

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  10. 11月21日、若手市議の会主催の「越市政 4年間を振り返る」に参加しました。茂呂氏が基調講演役を務めた会です。この頃コメントが少なくなってきました。茂呂氏もあまり書きません。みなさん退屈でしょうということで、何回かに分けて参加レポートさせて下さい。

    そもそも私は、べつに大津市政に文句がありませんでした。いじめ問題で越市長は有名でしたが、その副市長が茂呂氏であることは知りませんでした。あれは、たしか、富田教育長就任早々の頃だったと思います。越市長と大阪市の橋本市長が、教育委員会を首長直轄にすべきだと語り合う公開対談会を開きました。その記事を見て、この市長はいつか問題を起こすと直観しました。以来、新聞の滋賀版を市政ウォッチャーの目で見てきました。市長選が日増しに近づいてきたこともあって、半分は野次馬根性ですが、このイベントに参加した次第です。

    若手市議の会の顔ぶれは、アイウエオ順・敬称略で、嘉田修平、河村浩史、幸光正嗣、谷祐治、藤井哲也、山本哲平の6議員です。若手というのは当選時に20~30歳代だったということだそうです。
    嘉田修平議員は見た目が若くて妻子持ちには見えません。維新の会所属の河村浩史議員は、大阪ダブル選挙が気になるけどこちらに来たとのことでした。発言内容から察するに、越市長にいちばん批判的なのは山本哲平議員かと思われました。みなさんのリーダーは谷祐治議員の様子です。

    浜大津、明日都4階のホール。一般参加者数は50人くらい(ざっと見てですが)だったと思います。前の教育長富田眞氏の姿もありました。若手ではない市議も来ていました。逢坂学区から来たという子育て世代シングルマザーもいましたが、総じて参加者の年齢層は高めでした。新聞記者席には10人くらい座っていました。小さくて地味なイベントに見合わない注目度の高さです。みなさん後ろから席をとっていきますので、前から3列はガラガラでした。遠慮なく、ただひとり、そこに座りました。

    まずは茂呂氏の基調講演、そして議員さんと茂呂氏によるパネルディスカッションの順に会が進みました。茂呂氏は、昭和20年代から目片市長時代までの歴代市政を大まかにレビューした後、越市政の4年間に入り、大津市総合計画「結の湖都 大津」がどれくらい進んだかを評価しました。「結の湖都 大津」は目片市政時代(平成16年~24年)に始まった10年計画です。今年度がその9年目にあたり、来年度からは最終1年間に入ります。

    「昭和20年代は大津市が観光文化都市を目指していた時代です。昭和26年、はり丸が就航しました」なんて話は懐かしかったですねえ。はり丸!長い間忘れていました。はり丸とるり丸があった。ここの若い読者はおそらくご存じない。私ら世代はどれだけ乗りたかったことか。
    昭和28年には三洋電機が国産初の噴流式洗濯機を作ったという話も出てきました。噴流式洗濯機が近江生まれだと初めて知りました。草津から石山まで駅が何もなかった頃です。列車が瀬田川鉄橋に近づくとサンヨーの工場が見えてきました。サンヨーがあり東レがある風景。大工場が子供心にも誇らしかった。This is 大津でした。

    茂呂氏はパソコンなしでした。パワーポイントでプレゼンテーションしてそのファイルを関係資料にPDFで掲載すると思っていました。噴流式洗濯機時代さながらのスタイルで茂呂氏が話し始め、私はiphoneの録音機能をオンにしました。椅子だけの席でしたのでメモが取りにくかったのです。茂呂氏は、場所柄もあってか、このブログでは見せない越直美観も披露していました。(続く)

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    1. 「越市政、4年間を振り返る」参加したかったのですが、他の予定と重なって参加できませんでした。
      この報告、楽しみにしています。「噴流式洗濯機」ですかぁ。…その時代から、今のほとんどの電気器具にcp機能内蔵、自分で考えることも、感じることも後回しの現代人まで。話がどう展開するのか、たのしみです。

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    2. ありがとうございます。頑張ります!お楽しみに。

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    3. 若手市議の会 参加レポート その2

      市が何をどう動いていても、多くの人にとってそれは水か空気みたいなもので、市が住民のために動くのは当たり前くらいの感覚でいます。ましてや、昔の市政がどうだったかということはまず覚えていません。茂呂氏のレクチャーは、えらく勉強になりました。
      私は、仕事柄、書くことが苦にならないうえ、大津市のまちづくりには関心を持っています。今回、参加してみて、新たに考える材料をもらったこと、そして、茂呂氏の語り方がとてもおもしろかったこともあり、これをひとつ市民の皆さんにもシッカリ伝えようという気になりました。選挙も近いのでまちづくりを考えるのもわるくありません。茂呂氏のブログを借りたミニ講座のデリバリーです。

      ところがです。作業を始めてみると、これが予想外に面倒臭い。しかしながら、それぞれ立場のある人ばかりの発言ですから、私の恣意的な端折り方でバイアスがかかってもいけません。しかたない、もう腹を決めて、詳細克明コースに取り組みます。市政やまちづくりに関心度の高い皆さんにはそのほうが参考にしていただきやすいと思います。

      さて、初めて見る実物の茂呂氏の第一印象は、この人に嫌われるほうが難しい、でした。会終了後の茂呂氏はいろいろな人に捕まっていましたので、名刺交換もせずに帰ってきました。またいずれお会いすることもあるでしょう。

      茂呂氏は、企画調整課在籍当時、大津市の基本構想である「結の湖都 大津」の策定に携わりました。基本構想策定はどこの自治体もやっています。地方自治法で義務付けられているからです。これは「将来都市像」とも位置づけられ、いわば、なりたい姿の自画像だと茂呂氏は言います。茂呂氏が携わった基本構想の9年目が終わろうとしていて、そろそろ新たな基本構想を作り始める時期に来ています。次はどんなことを盛り込めばいいのか、それもこの日のテーマでした。

      まちの営みの連続性と正しい遺産相続。茂呂氏はこのふたつの言葉を強調しました。このふたつがまちづくりのキーワードだというのです。このキーワードに沿って歴代市政が語られたわけではありませんが、時代の流れを映す茂呂氏の語り口には味わい深いものがあり、行間を読むとでもいうのか、言葉の隙間にキーワードが見え隠れする気もしました。

      茂呂氏によると、大津市はこんな風に変わってきました。

      戦後、大津市がまず目指したのは観光文化都市だったそうです。昭和26年に琵琶湖が国定公園に制定された。これが大きな要因でした。大津市の特色である観光と文化がこの時代にすでに意識されていたのだと茂呂氏は言います。それと同時に、新日本電気や三洋電機で象徴されるように、内陸の工業都市という特色もあったそうです。

      その後、日本は急激に経済復興を成し遂げ、高度経済成長下で池田勇人内閣の所得倍増計画が現実味をもって受け容れられる時代、大津はますます工場誘致を活発化させていったそうです。工業分野ばかりか、菱屋町商店街に市内初のアーケードが完成するなど、まちの商いもにぎわった時代です。当時の様子について、座っていればお客が来たと茂呂氏は聞いているそうです。

      ところが、「煙がモクモクしたら次は健康だ」という時代変化があったと茂呂氏。日本全国で公害が社会問題化しました。人々も健康の大切さに目を向け直しました。大津市は、まちを挙げて健康を追求する将来都市像を描き、それが「健康都市」のコンセプトを生み出したそうです。健康問題に加えて環境問題も深刻化。びわこを美しくする運動が各地域自治会の大規模な連帯活動として始まりました。

      昭和49年、乳幼児健診大津方式がスタートします。先進的な取り組みでした。丁寧な連携を旨とする大津方式はやがて全国の標準モデルになっていきます。健康都市づくりの流れがずっと引き継がれていて、これが花開いたのだと茂呂氏は見ています。これがあるから大津市に引っ越そうかという人が実際にいたくらいで、乳幼児健診大津方式は「大津に住んでよかったとしみじみ実感できる市民都市」という山田耕三郎市長の意図とも一致しました。

      ここで茂呂氏は、昭和51年開業の西武ショッピングセンターにもふれ、京都に人をとられる大津は中心性を発揮しがたく、どの商いも長年にわたる客足確保が難しいと、大津の商業者に共感的な心情を見せていました。これを、田舎が広がるなかにちょっと大きめの市街がある草津と比較。草津の地理条件だと中心性を備えやすいと茂呂氏は言います。

      各地の市民センターが生まれたのもこの時代でした。大津市は南北に長くて多様な地域の連合体だと茂呂氏は言います。それぞれの住民がそれぞれの地域に愛着を持ち、利便性もそこで賄われていたという事情もあって、それぞれに市民センターを置いて行政サービスを向上させよう、それぞれの地域性をだいじにしながら全部をつなげていこうという目的だったそうです。まさに核が多数の多核的都市構想だと茂呂氏は述べ、今後それぞれの核をどうしていくかが命題だと続けました。

      昭和55年から市長が山田豊三郎氏に変わります。昭和から平成に及ぶ23年間の長期政権。市長の方針は都市基盤をしっかり作っていこうということで、下水道や公園の整備がずいぶん進んだそうです。大津市は一地方都市には珍しいほどに下水道の普及が高くなり、これが琵琶湖の環境保全にも貢献したとのこと。
      市政は「ふるさと都市」を看板としていました。長く住みたいと思ってもらえるまちづくり。住民のアイデンティティーを大津にぐっと引きつけておきたいと市は望んでいたそうです。茂呂氏は、ここで住民意識調査を少し紹介。それによると、ずっと大津に住み続けたいと答える人が多いといいます。住みやすい自然環境がなんといっても大津の強みであること、反面、人の営みによる住みやすさが弱みであることもこの調査から読み取れるとのことでした。

      平成16年から市政は目片信氏に移ります。
      当時は、夕張市の破産があり、自治体でも本当に潰れることを世間が痛感していました。その危機感を踏まえて大津市が目指したのは自立した都市経営。そのキーワードが協働、市民と行政の協働でした。そこから生まれたコンセプトが「結の湖都 大津」です。この協働のキーワードをうまく言い表すスローガンがなかなか決まらなかったそうです。茂呂氏は、当時の苦労話を披露していました。協働の二文字をシンボリックに「結(ゆい)」で表したということかと思います。
      平成17年に志賀町合併。最近の大津ではエポックメイキングな出来事だったと茂呂氏が振り返ります。この合併で人口30万人超えとなりました。平成19年には市庁舎を浜大津に移す計画も持ち上がったそうです。あの頃の滋賀県には嘉田知事が誕生しました。「もったいない」が県民の間に広がりつつありました。そんな背景もあってか市庁舎の浜大津移転には市民の賛同が集まらなかったそうです。

      そして、ここから、茂呂氏の話は現在の越市政へと向かいます。(続く)

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    4. 若手市議の会 参加レポート その3

      ちょっと駆け足でいきたいと思います---茂呂氏のその言葉で録音中のiphoneを見ると、40分の持ち時間がすでに21:43まで来ていました。配布資料はまだ2ページ残っています。

      越市長は、「結の湖都 大津」の将来都市像を引き継いでの就任でした。その大きな方向性は大きな方向性として、市長自身の思いは「大津をもう一度活気ある町にしたい」です。

      茂呂氏は、越市政のスタートを「混乱の船出」だと要約します。いじめ事件があれだけ大きな社会問題となりその対応に追われるなか、平成24年8月には集中豪雨による未曾有の災害が起きました。いずれも、大津市政が初めて直面するといってよいほどの困難でした。越市長は波乱万丈のなかでたいへん頑張ってこられたと茂呂氏は表現し、「性根がすわっておられるといいますか」という言い回しも用いて、当時の奮闘努力を評価していました。

      茂呂氏は、そのいっぽうで、越市政の内部管理には大きな問題があったと見ています。「自分が辞めた側にありながら混乱があったというのも変な話ですが」と前置きした上で、市長を支えていこうとする副市長が2人辞めて、教育長も辞めて、特別職が合計3人も辞めることになったのは異例な話だと思っていると述べました。まちづくりに関して、その哲学や方法論に関して、丁寧な市政運営のやり方に関して、市長との間で深刻な考えの対立があったといいます。

      ここから茂呂氏は、ざっと見てきた市政の流れを総括しました。同じ内容を「54)大津のまちの歩み」と「大津市政24~大津のまちの歩み~」で読むことができます。

      話が佳境に入ったのはこの後です。私が頑張ってレポートするいちばんの理由は、話の後半、大津の魅力を茂呂氏が熱く語ったことにあります。

      【結の湖都のまちづくりとは】

      ◯結
      結。いまではこの言葉を必要とする日常シーンが影を潜め、若い人ですと聞いたことすらないかもしれません。ケツと読むかもしれません。正しくはユイです。結について茂呂氏の生の言葉からポイントを抽出しますと、以下のようになります。

      ・江戸時代などの昔、生産性が低かった時代の農村・漁村では、多くの人手を必要とする作業を地域総出で助け合った。たとえば、田植え、稲刈り、茅葺屋根ふき替えなど。
      ・血縁のつながりではなくて地縁のつながり。自分が助けてもらったら自分も同じ助け方でお返しするという仕組み、そして、その仕組を支えるお互い様の精神。

      こうした互助精神をまちづくりに生かしていこうという思いが、結という言葉にこめられているといいます。

      ◯湖都
      滋賀県の場合、琵琶湖に面した市や町が多く、それぞれが琵琶湖こそ俺のところだの気持ちを強く持ち、それがアイデンティティーにもなっていると茂呂氏は言います。「しかし、ぜんぜん違うんだ、琵琶湖こそ大津だ」というメッセージを湖都という言葉に託したのだそうです。これが決して大津市の身勝手ではないことを茂呂氏が理詰めで説明しました。

      ・琵琶湖に接する市街化区域の面積は大津がダントツに広く、大津では琵琶湖に隣接して都市化が進む。
      ・大津の町中は傾斜都市を大きな特色としていて、住民は琵琶湖を眺めながら暮らしている。街と水の暮らしが共にある。他の市や町の多くは湖岸線が田んぼなどの市街化調整区域である。
      ・県庁所在地でこれだけの大きな内水面を抱えた町が他にない。あっても松江市と宍道湖くらいである。それほど大津は琵琶湖に恵まれている。
      ・琵琶湖とのこうした関係性が市民の価値観と深く結びついている。類似の価値観で大津を選んで移り住む人たちがいる。

      「ということで、わるいけど守山さん、大津が湖都だと、そういう風なつもりで名づけています」と茂呂氏はまとめました。これだけ理詰めでも、やっぱり他の自治体から叱られそうな言い分ではあります。

      ◯三者協働
      三者というのは市民・事業者・行政のみっつを指します。まちづくりを行政に任しっぱなしにするのではなくて、三者ともがまちづくりに欠かせないセクター(担い手)だという発想だそうです。それに、行政がなんでもやれるほどお金や税金がないことも、いまクローズアップされる理由の一つです。
      自前のまちづくりを、家の前の溝掃除を例にして茂呂氏は説明しました。昔は溝掃除だけではなくて道普請まで自前でやったといいます。自分たちの手で進めるのがまちづくり本来の姿であり、そのほうが満足感も大きいと茂呂氏。

      (これを聞いた私は、結も湖都もだいじだけれど三者協働はさらにだいじだと思いました。家の前の溝よりもまだ深い意識改革だとも思いました。もし、三者協働の意識、辛抱も満足も自分たちのものだという心構えが根付いていれば、赤字部門を民営化で切り離すだけの改革に「ちょっと待て、みんなでなんとかする」の声がもっと上がるはずです。越市長のような改革手法に一定の評価が集まるのは、三者分裂の実態がそこにあるからではないでしょうか。赤字改善は市がなんとかしろというあなた任せが私たちの間に広がっているからではないでしょうか。)

      ◯大津のまちのポテンシャル
      茂呂氏がまず掲げたのは、大津に天与された地理的条件の妙でした。大津がここにあるからこそ生まれるよさです。茂呂氏は、京阪の外縁部に位置する大津を汽水域になぞらえ、田園性と都会性、両方のよさがここで調和すると分析し、それを大津第一の魅力に位置づけました。
      さらに、茂呂氏の口からは、交通・物流の利便性、琵琶湖と比良比叡を擁する豊かな自然環境、歴史文化遺産に恵まれた風土といった条件が出てきました。茂呂氏は力説します。これらは私たちがあまり労せずして手に入れた基礎的条件で、しかもこれからも変わりようがない条件だ。それだけに、これからのまちづくりを考える上でしっかりおさえておくべき条件でもある。

      今年1月に実施された住民意識調査(3000人に聞き半数が回答)の回答結果も、茂呂氏の力説を補強します。これを茂呂氏が紹介してくれました。
      「暮らしの環境、大津のどういうところを評価しますか?」という問いに対するベスト5は、 ①自然が豊かである ②自然災害・禍災が少なく安全 ③静かで空気がきれい ④京都・大阪に近くて便利 ⑤自然や町などの景観がいい です。
      なかでも大津最大の魅力に絞った問いかけでは、①自然の豊かさ ②京都大阪に近い ③社寺など古い歴史 がベスト3になりました。
      いっぽう、医療、散在ゴミ、子育てといった市の施策が関与する項目はベスト5に匹敵するだけの評価を得ていません。
      逆に、大津市に足りないものを問うマイナス部分の評価で上にくるのは、★スポーツ・市民活動 ★公共サービス ★まちのにぎわい でした。人為でなしうる部分に厳しい点数がついたと茂呂氏は受け止めています。

      この住民意識調査は次の総合計画策定に向けた基礎調査として実施されました。恵まれた基礎条件に甘えていないでいかにそれを生かしていくかという観点が行政にとってとてもだいじだと、さすが前の副市長らしく、行政に対してシビアな目線を向けました。
      望ましいまちの将来像に対する回答の上位3項目は、 ①快適に暮らせて質の高い町 ②琵琶湖や山里など自然に親しめる町 ③公共交通や買い物など生活に便利な町 となりました。

      住民のこうした意識に基本的にベッドタウンだという大津市の性格を加味したとき、生涯本当に満足して暮らせる質の高い都市を目指せばいいのではないか。茂呂氏はそう考えています。その上での課題はなんだろう?という問いかけが次にきます。
      風光明媚なところでずっと満足して暮らしていくためのベーシックな条件。茂呂氏が重視するのは、安全、教育、子育て、介護です。こうしたベース条件が満たされた上にプラスする魅力として、活気、利便性、文化の享受といったものがくるのだろうと茂呂氏は考えています。
      市長選の候補者たちの具体的政策表明はこれからといったところですが、少なくとも現時点では、ここまで大津市の魅力を熱く、深く、そしてわかりやすく語った候補者を知りません。もし茂呂氏が候補者ならば、私のなかではもう決まりです。
      ただ、これらはあくまで茂呂氏の考え方であり、どんな大津にしたいのかはこのイベントの参加者それぞれでしょう。このイベント自体がそれを考えるための機会でした。

      しかし、茂呂氏、大丈夫でしょうか。持ち時間40分まで残すところあと4分。まだあまり越市長のことを聞いていないのですが・・・(続く)

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  11. 市民病院に付属して建っているケアセンターは市民病院から退院する患者が社会に戻る前の適応準備施設として建てられました。今は高齢の患者が増えて特養的な性格が強まっていますが病院との連携が重要な施設です。経営状態は良いと言えませんがこれからの地域ケアぬ充実を図る上でも重要です。越市長はこれを最初から民営化したいと考えておられ、その意思の元で検討が始まりました。検討を急がれて、ついに企業局の管理者が加わって民間譲渡の方向が固まってから、そこだけ敷地を分けると建築基準法違反になるとわかって京都新聞にも書かれました。図書館と同じで、市長の望む結論ありきで突き進んだ為の失敗です。施設が建てられた原点を考えず、これからの活用の可能性も放ったらかしで、患者もそっちのけ、いまの損得だけで動いた結果です。これが越市長の改革です。元副市長が言われたように丁寧な見極めが必要です。次は乳幼児健診が危ないと聞いています。全国に誇っていた大津方式も風前の灯火です。

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  13. 明らかに失策ですね。
    暴走した結果ということですか。

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